ひとりでも多くの人に
美味しい日本酒に出会ってほしい
趣くままに夢中で学んだ日々
高校卒業後、名古屋の大学の電気電子工学科へ進むも向いていないと気づき、一浪の後、興味のあった心理学を学ぼうと追手門学院大学に入学。 早い時期から研究者を目指していた朝倉さんは資料を読むにも論文を発表するにも英語は必須だと考え、積極的に習得に励み、3 年生の秋学期にはインドとの交換留学生に選ばれた。
追大での4年間で英語を身に付け、第2外国語として履修していたドイツ語も、好きだったフランツ・カフカとトーマス・マンの小説を原書で読みたい一心で勉強し、3年生の頃には、ドイツで生活できるほどまで習得。その後大学院へ進学し修士号を取得するが、アメリカの大学へ博士留学が叶わなかったため、研究者の道を諦めて就職。
好きなことはいつか必ず結びつく
“焼酎ブーム”が続いていた最中。日本酒好きが高じて蔵元を訪ねるようになっていた。いい造り手がたくさんいて一生懸命造られた美味しい日本酒がたくさんあることを少しでも多くの人たちに知ってもらいたいとの一心で、2005年9月、木屋町御池に日本酒BAR「あさくら」を開いた。
お店に立っていて一番嬉しいのは勧めたものがお客さんの好みに合い、「美味しい」「日本酒がこれまで以上に好きになった」と言ってもらえた時。今では外国人のお客さんも増え、全体の約2割に及ぶ。春の花見シーズンには8割を超える日もある。そして、2014年4月からは、お店ではなかなか出会えない、日本酒についてまだ知らない人たちにその魅力を文化
やマナーとともに伝えたいと、2つの大学で『飲酒文化』ついて講義を受け持っている。追手門学院大学では外国人留学生を対象に英語で授業を行う。 「日本酒を通して、日本をもっと好きになってくれると嬉しいですね」
2000年 追手門学院大学/人間学部/心理学科(現・心理学部/心理学科)卒業。
2002年 関西外国語大学大学院/英語学専攻修了。洋古書を扱う書店の営業職を経て、2005手門学院大学・同志社大学にて日本酒と飲酒文化をテーマに通年で講義を行う。
●日本酒BARあさくら
京都市中京区木屋町御池下がる一筋目東入る大久ビル2F
Tel 075-212-4417 19:00-26:00 火曜、第2第4 水曜定休
国際水泳大会で
3つの銅メダル獲得の快挙!
校友の吉田胡桃さん(45期生)と中牧佳南さん(46期生)が、ロシア・カザフスタンで開催された第16回世界水泳選手権(シンクロ)で、3つの銅メダルを獲得する偉業を成し遂げました。
ひとりでも多くの人に
挑戦を後押ししてくれたから今がある
趣くままに夢中で学んだ日々
大学卒業後、入社1年目の秋からマレーシアに赴任しています。 追手門は自分がやりたい道が見つかれば挑戦を後押ししてくれる大学。 在学中から将来グローバルに活躍したいと思っていた僕に、 先生は世界を見据えてどう動いたらいいかアドバイスをくださったり相談にも親身にのってくださいました。 おかげで国内外で国際交流ができて視野が広がり、今につながっています。
日本のモノづくりを世界へ伝えたい
マレーシアの工場では、マレーシア人以外にも中国人、ベトナム人、 インドネシア人など、いろいろな国の人が働いています。 そんな中で一番大変なのは、やはりコミュニケーション。 日本の常識が彼らにとっては常識でなかったり、意見の不一致なども起こりがちです。 世界にはさまざまな考え方や価値観がありますから、相手の意見をよく聞き、 グローバルな視点からお互いが納得できる道筋を築き上げていくことが大切。 これも、学生時代に培った国際色豊かな人脈の中で学びました。 今後も自分が携わった製品を世界中に広め、日本のモノづくりを支えていきたいですね。
”自分=商品”である。
長所を個性に転換することで、
自分にしかできない道が開ける
「異端児」と呼ばれ、自分らしさを発見した在学時代。
高校生の時から”自分=商品”であり、自分の価値をどう高めるかを常に意識していました。 当時、先生からは「異端児」と言われていましたが、他の人とは違う自分の”個性”を 認めてもらえていたのだと受け取りました。 このように、追手門学院には生徒の個性を大切にする風土があります。 大学では、経営コンサルタントになると目標を定め、多くのビジネス書を読み、 ひたすら経営者のマインドを学びました。追手門学院での10年間は、 自分の長所を個性に転換できた期間。社会の中で一番になれるフィールドを深く模索したからこそ、 今の私はあるのだと思います。
自分を確立させることが、社会への貢献につながる
現在、私が勤める船井総合研究所は、実は入社試験で一度落とされた会社です。 それでも、自分を商品として表現できるのはコンサルティング会社だと思ったから、 無理矢理入れてもらいました。その恩に報いるためにも、入社後は必死で働き、 その結果として最年少で取締役になることができました。しかし、出世を目的に仕事をしたことはありません。 あくまでもお客様に喜ばれる存在になれればいいと考えています。 まずは、自分の商品力を高めるために必要な”感じる力”を磨き、人間としての器を広げること。 自分が確立できれば、きっと社会への貢献につながるはずです。
追手門学院大学卒業生であることに
誇りと感謝を
今年六月の初旬に久しぶりに母校を訪ね、事務局総務部ご担当の吉田浩幸先生に学内を案内していただきました。大学を卒業してから三十年、懐かしい部分も少し残ってはいましたが、ほとんどが大きく改革され、我々の頃のカレッジ的な印象は薄く、どこから見てもユニバーシティーになったんだな、と強く感じられました。
卒業生として、母校が発展していることを本当に嬉しく思います。また、学内ですれ違う学生達を見ても、その目に躍動感と輝きを感じ、元気をいただいたように思いました。
私は、学生の頃は全く目立つような存在ではなく、優秀でもなく、クラブ活動で輝くような実績を残した者でもありません。
しかし、田舎者の世間知らずではありましたが、学生の頃より、日々精進、終生感謝の心で、大学の四年間を毎日粛々と過ごしました。友人宅で食事をいただいたり、時には教授宅で過ごしたりといった学生でした。自分に関わってくれた方々はどなたも親切で、今でも感謝しています。その中でも特にゼミでお世話になった杉本一郎先生へのご恩は一生忘れることはできません。
私は現在、京都府福知山市にあります、私立京都共栄学園中学校・高等学校で高等部の教頭をしています。今でも決して目立つような存在ではありません。しかし、学生の時から続けている、日々精進、終生感謝の心で生徒の前に立ち続けています。その基本を植え付けてくれた追手門学院大学での四年間を誇りに思い、感謝しています。
私にとっての大学四年間は、努力を惜しまず、様々なものにチャレンジし、そして「本物の力」を付ける時間でした。日々感謝を忘れず、将来の自分のため、そして更なる大学の発展のために頑張っていきたいと思っております。
また、現在でも公私に渡り、お世話になっている大学関係者の皆さんに、書面をお借りし、お礼を申し上げます。今後は微力非才の身ではございますが、大学に尽力いたす所存でありますので、これからもよろしくお願いいたします。